色鮮やかなはっぴを見るだけで「お祭り気分が盛り上がる!」と感じるのは、はっぴが伝統的な祭り装束として広く普及しているからに他なりません。
一体、いつの時代からはっぴが祭り装束として世間に浸透していったのでしょうか?
はっぴが祭り装束として扱われる由来やその歴史を紹介します。
はっぴはどのようにして名づけられたのか?
はっぴは江戸時代に「八百八町(はっぴゃくやちょう)」と呼ばれた江戸の町を守る町火消したちの制服として用いられていました。彼らの粋な立ち振る舞いや時には命を落とすこともありながらもひたむきに町を守る姿は、町人のあこがれの存在だったと伝えられています。現在でも、各自治体で消防団が結成されていますが、制服にはっぴを採用している団体があります。これは、消防団が町火消しの心意気を現代に受け継ぐ存在であるからだと言われています。
また、はっぴという名前の由来はさらに昔にさかのぼります。平安時代以降の皇族や公家の正装に用いられた着物の下着に相当するものに「半臂(はんぴ)」と呼ばれる袖のない胴衣があり、この言葉がなまってはっぴと呼ばれるようになったと考えられています。
はっぴはどのようにして広く普及したのか?
古い時代の支配者階級である皇族や公家の下着として誕生した半臂は、決して一般的な存在ではありませんでした。しかし、武家社会の絶頂を極めた江戸時代には、武士たちの間で家紋を染め抜いた羽織に近い着物が流行し多くの武士たちがそれを着用しました。
厳密にいえば江戸の町火消しが着用していたのは半纏(はんてん)であったようですが、江戸時代に半纏とはっぴが混同されるようになり今に至っています。
はっぴは大工や鳶などの建築関係者が好んで着用し、商店のユニフォームにも取り入れられたことで広く普及するようになりますが、明治維新以降は洋服の着用が主流になったことから姿を消していきました。
祭り装束としてのはっぴの歴史とは?
江戸時代に祭りに参加する町民の中にははっぴを着用する人も存在したでしょうが、はっぴが祭り装束として取り入れられるのは昭和の時代に入ってからだと言われています。1970年に開催された大阪万博でイベント用にはっぴが使用され、はっぴがイベントや祭りに取り込まれました。
伝統的な祭り装束であるというイメージが強いはっぴですが、祭りに取り入れられたのは約50年ほど前からだということですね。しかし、町会などのユニフォームで町会のトレードマークが染め抜かれたはっぴは独特の一体感を生むため、現在では祭りを盛り上げる非常に重要なアイテムとなっています。祭り装束としてのはっぴの歴史は、現代を生きる私たちが育んでいくべきものではないでしょうか。
はっぴ自体の歴史は古く長いものですが、祭衣装として浸透したのは現在からつい50年ほど前というから驚きですよね。これからもはっぴを祭衣装の定番として受け継ぐためにも、祭りの際はビシッとかっこよくオリジナルはっぴを着込んでみてはいかがでしょうか。